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ロシア・ロマンスの世界へようこそ
ひとくちにロシア・ロマンスと言っても、その響きはさまざま。
帝政時代のサロンの残り香、SP盤のノスタルジー、そして哀切なる歌声。

ここは、時代を彩った名曲と歌人たちを辿る場所です。

    「ロシア・ロマンス(Русский романс)」とは」


    「ロマンス(Романс)」とは、19世紀前半のロマン主義の波に乗り、ロシア帝国の地で独自に開花した抒情的な歌曲ジャンルです。

    単なるポピュラーソングにとどまらず、「優れた詩」と「歌唱・楽器演奏」が高度に融合したアートフォームであり、プーシキンやレールモントフといった大詩人の詩文に、名作曲家たちが美しい旋律を添えることで発展しました。

    誕生、黄金期、弾圧、そして再生の歴史

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    19世紀初頭 ~誕生と貴族サロンでの開花~

    ロシア・ロマンスというジャンルが産声をあげた時代です。フランスの歌曲などの影響を受けながら、貴族たちの社交場(サロン)で愛唱される優雅な歌曲として発展しました。

    初期のロマンスを支えたのは、アリャービエフ、ワルラモフ、グリリョフといった高名な作曲家たちです。彼らはプーシキンなどの偉大な詩人の言葉に、美しく切ないメロディをのせました。

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    大衆化と「歌謡ロマンス」の発展

    19世紀半ばになると、ロマンスは貴族のものから、街の一般市民へと広がっていきます。

    この時期、近代ロシア音楽の父と呼ばれる・グリンカが、芸術性の高いロマンスを次々と発表しました。その一方で、ロシアの伝統的な民謡や、情熱的な「ジプシー(ロマ)の音楽」と結びついた、より親しみやすい「歌謡ロマンス」が大流行します。

    時代と街が生んだ、多様な子どもたち

    ロマンスは単一のスタイルにとどまらず、社会の広がりとともにさまざまなサブジャンルを生み出しました。

    • サロン・ロマンス(Классический / Салонный романс)
      アリアビエフ、ヴァルラーモフ、グリリョフら初期の作曲家や貴族階級のサロンで愛された、クラシカルで品格あるロマンス。
    • 都市ロマンス・民衆ロマンス(Городской / Бытовой романс)
      街の庶民の間で口ずさまれ、フォークロア(民承)として定着した歌たち。現代の歌謡曲やロシア・シャンソンのルーツ。
    • 酷薄なロマンス(Жестокий романс)
      メロドラマティックで劇的な愛憎、失恋、悲劇的な結末を激しく歌い上げる、大衆性の強いジャンル。
    • ジプシー・ロマンス(Цыганский романс)
      19世紀半ば、モスクワやペテルブルクのジプシー合唱団の影響を受けて成立した、情熱的で哀切に満ちた歌群。
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    1910年代〜1920年代:黄金期の到来

    フョードル・シャリアピン、アナスタシア・ヴャルツェワ、ライサ・ライソワといった伝説的スターが登場。SP盤(蓄音機)の普及とともに流行歌として頂点を極めます。

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    ソ連時代の苦難

    1930年代以降、ロマンスは「帝政時代の頽廃的・ブルジョワ的な遺物」としてソ連当局から批判や制限を受けます。ピョートル・レシチェンコやアレクサンドル・ヴェルティンスキーといった歌手たちは亡命先で歌い継ぎました。

    しかし、スターリン体制下でも、ヴァディム・コージンやイザベラ・ユリエワ、ゲオルギー・ヴィノグラードフなどにより、ロマンスの名残をはらんだ流行歌は歌い継がれていきました。

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    1970年代の復活

    1970年代に入り、ナニ・ブレグヴァゼやヴァレンティナ・ポノマリョーワらによって伝統的なロマンスが再評価されます。また、アンナ・ゲルマンをはじめとする歌手たちが、その澄み渡る歌声でソ連エストラード(ポップス)の中にロマンスの抒情を鮮やかに蘇らせました。

    これもロマンス?」日本でおなじみのあの名曲も……。


    「ロシア・ロマンス」という言葉には馴染みがなくても、実は日本人の多くが一度は耳にしたことがある名曲ばかりです。

    『黒い瞳(Очи чёрные)』

    ジプシー・ロマンスの最高峰であり、世界中で愛される名曲。

    『悲しき天使(Those Were the Days)』

    Beatlesのポール・マッカートニーが、自分たちのレコード社から初めてプロデュースした楽曲がこれ。世界的大ヒットしたこの歌は、元はSP盤時代の定番ロシア・ロマンスです。

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